宗吾御一代記館ダイジェスト

第7景:甚兵衛渡し(義侠の鉈)
宗吾様のご生涯を偲び、甚兵衛渡し・妻子との別れ・直訴から処刑に至るまでを人形66体13場面の立体パノラマでお楽しみ頂けます。
左:第2景 百姓の苦しい生活
寛永から承応年間に至り、打ち続く飢饉と過酷の中より、農民達が年貢米を代官所に納入すると、1割2分も余分に入る枡で計り直し、不足分を収め、またその上に麦・大豆・小豆・果ては鍬・天秤棒まで税金の対象になり、あまりの重税に他藩・他領へ夜逃げする者、先祖のお墓を守ろうと、何も無いアバラ屋で草の根を食って飢え死にするものもあり、遂に承応元年には潰れた家が380軒、夜逃げしたものが1,730人、檀家を失った為に潰れた寺が11ヶ寺と当時の記録にあり、まさに生き地獄そのものといわれております。
右:第9景 妻子の決別
命をかけた甚兵衛の義侠により助けられまして、暫く我が家に立ち帰ることができたました宗吾様は妻・きん、長男・彦七を手元に呼び「私はこれから村の人々のために直訴という国の掟を破らなければならない。あとの事はよろしく頼んだぞ」と、後難のないようにかねて用意の離縁状を妻に、子供たちには勘当状を差し出せば、これを見ました、おきんは「離縁状とや勘当とは、なんとつれない事を申されますか、親子は一世、夫婦は二世のたとえの通り、この身は八つ裂きさせ、子供たちが打首に遭いましょうとも厭いまぬ、どうか村の衆の命を救ってやって下さい」と長男彦七と一緒に涙の訴えをいたします。健気なる妻子のその言葉に、宗吾様とて矢張り人の子でございます。心中先々に乱れて断腸のごとく涙のうちに妻子との別れを告げられたのでございます。